<おことわり>
以下は1月31日の防災に関する講演会
で「ゆめ風基金」の八幡隆司さんが話され
た内容をポイント的に抜粋してまとめさせて
いただいたものです。
講演の内容全体については近日中に講
演録を発刊する予定ですので、詳細につい
てはそちらを御覧ください。次号では「富山
市防災ボランティアネットワーク会議」の会
長である能登貴史さんの講演内容を抜粋
してご紹介する予定です。
* 阪神淡路大震災の時は*
とにかく何の備えもないところにやってきて大きな被害が来た。聴覚障害者の方は地
震でファックスが全部潰れてしまって仲間とも連絡を取れない。体育館へ行くよりも半
壊の自宅がましと半壊の家にとどまった障害者は本当に多数いらっしゃいます。
情報という意味でも、先ほど言った支援するにしても仲間との連絡をとらなければい
けないということで、障害者救援本部は最初に自分たちと全国ネットワークをつなぐ時
にファックスが一番中心でしたし、また聴覚障害者の方が自分のファックスがつぶれて
いるので、まずは10台以上ファックスをくれないかという話がありまして、それをかき
集めたり。安否確認にしても道路が寸断してまともに自動車も動かなければ、外側から
もなかなか行きにくい状況だったのでオートバイが一番機動力があるのでオートバイを
10台集めて人を集めて安否確認するという状態でした。
大阪でボランティア受付をしまして長期にいける人だけを選んで現地に行ってもらい
ました。ボランティアが寝泊りするために公園にバスを置いたらそこで事務所代わりに
できるということでバス会社と交渉して座席を全部取ってもらって公園に何ヶ月もおい
てもらうように交渉したりしたりしました。私たちは例えば大阪に早川福祉会館を使っ
て避難所をつくったり、垂水養護学校というところを避難所として開設したり、西宮の
ある障害者は教育センターを避難所に使わせてくれということで交渉をして、公的施設
を最初は避難所になってい
ないところをあけさせたり。それにしても1日2日で交渉し
てそういうところがすぐ開くわけではないのですね。避難所をつくるにしても1週間、
半年と長くかかるわけです。そういう状況です。
ある障害者はマンションの5階に閉じ込められて消防に電話しましたが、命あるのな
らもうそのままでいてくださいれといわれて、1週間ほどマンションの5階から出られ
なかった。また別の障害者は怪我をしたからと病院にいったら治療は全然してもらえず
いきなり施設に送り込まれたとかね。本人の意思と関係ないところに送り込まれたと。
非常に混乱を極めていたのが阪神淡路大震災でしたね。