高志リハビリテーション病院 野村 忠雄氏
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Aさんが右下肢の動きが悪くなり、歩けなくなったと高志リハビリテーション病院を 受診したのが2004年の暮れごろであった。それ以前には自分で歩いていたという。 Aさんの病名は、アテトーゼ型の脳性麻痺であった。私は、即座に首からくる新たな 麻痺(頚椎症性脊髄症)いわゆる脳性麻痺の二次障害のひとつとすぐに察しがついた。 Aさんの四肢の筋力は低下し、知覚も少し障害されており、頸椎のレントゲンや頚髄の MRIでも、骨や脊髄に典型的な変形と変性がみられた。これから益々悪化し、やがては 寝たきりになるであろうと推測された。すぐに手術が必要と思われ、本人にお話しをし た。 現在の状況、放置しておくとどうなるか(予後予測)、それを治す方法を紙に書きな がら説明し本人の意思を問うことにした。こういうやり方をインフォームド・コンセン ト(説明と同意)とかインフォームド・チョイス(説明を受け、自己選択をする)とい う。最近では、私も含め、多くの医師は、治療が必要となった場合、患者、および家族 に幾つかの治療の選択肢を十分説明、提示し、その中から治療を選択してもらうように している。昔のように患者が、「先生にお任せします」と全てを医師に任せるようなこ とは少なくなってきている。 Aさんの場合には手術の方を選択された。私は、その時、正直ほっとしたのを覚えて いる。もし、手術を拒否された場合、今後の病状の進行が懸念されたからである。 その後、手術を受けられたが、残念ながら症状の進行を止めることができず、大学病 院(Z病院)での新たな追加手術を勧めることになった。そのことを説明するためのケ ア会議で、Aさんは「アパートに一旦もどって3週間後に大学病院(Z病院)に入院す る」と答えたのであった。この答えは、私には意外であった。何故かと問う我々に彼は 「手術を拒否したわけではなく、やるべきことをしておきたい」と答えた。そして、一 刻も早い方が手術の結果も良いことも十分納得した上での自分の決断であることも告げ た。我々は、彼のこの毅然とした発言に、彼の強い意志を感じ、彼の選択を尊重しよう と素直に思ったが、内心は、大学病院(Z病院)に入院するまで症状が悪化しないこと を祈っていた。この後、2回目の手術を担当していただいたk先生から、「できるだけ 早く入院できるようにします」との返事をいただいたのですが、一旦、アパートに戻る ことになった。 もし、この時、医療者側だけの判断で、無理やり大学病院(Z病院)へリハビリ病院 から転院していたら、彼の気持ちはどうであったろうか。これは彼にしか分からないこ とであるが、我々は、彼の選択を尊重した。私はこのケア会議をきっかけに、我々がな んでも腹を割って話しのできる『仲間』になれたと思った。その後の会議はアパートで 一人暮らしをいかに支えるか、の打ち合わせに変わった。 大学病院(Z病院)での手術後のAさんの症状の改善は驚異的であり、何とか室内で 歩くことができるようになるのではないかと期待している今日この頃である。 医療者側と患者側、あるいはケアする側とされる側といった関係を越えて、お互いが 素直に言いたいことを言えて、そして理解しあえる関係を築き得たことが最も良かった ことに思える。 Aさんが難しい手術に断固として立ち向かった勇気に心から敬意を払うとともに、A さんが今後も私を含めた周りの人たちに暖かい人間性と困難にも立ち向かう勇気を与え てくれることを願うものである。 |